大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(レ)211号 判決

控訴人 有坂登志彦

右訴訟代理人弁護士 斎藤尚志

被控訴人 苗川岩雄

右訴訟代理人弁護士 繩稚登

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(当事者の求める裁判)

控訴人訴訟代理人は、「一、原判決を取消す。二、被控訴人は控訴人に対し金一〇万円およびこれに対する昭和四二年一月二五日から、完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。三、訴訟費用は第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴人訴訟代理人は、「一、本件控訴を棄却する。二、控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

(請求原因)

一、被控訴人は、昭和三八年ころから、訴外田村弥一ほか控訴人・被控訴人共通の友人達に、控訴人が麻布警察署に逮捕された旨不実の事実を言いふらしていた。

二、さらに、昭和四一年一一月控訴人の実妹訴外小林トシが、被控訴人に対する所有権移転登記ならびに建物明渡請求訴訟(東京地方裁判所昭和四一年(ワ)第一〇五七二号事件)を提起したところ、被控訴人はその訴訟代理人である弁護士繩稚登に対し前記不実の事実を告げ、同弁護士をして右事件につき、「昭和三八年初め頃、有坂(控訴人)が、麻布警察署に逮捕された事件が起り、云々」と記載した答弁書を、昭和四一年一二月五日の第一回口頭弁論期日に提出させた。

三、被控訴人の、右各行為は控訴人の名誉を毀損するものであり、これにより控訴人は精神的苦痛を蒙り、その慰藉料額は金一〇〇万円をもって相当とする。よって控訴人は被控訴人に対し、内金一〇万円およびこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四二年一月二五日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否)

一、請求原因第一項は否認する。同第二項は認める。同第三項の主張は争う。

二、答弁書を提出したのみでは名誉毀損としての不法行為は成立しないところ控訴人主張の答弁書はこれに基く陳述はなされなかったのであり、しかも被控訴人の右事件訴訟代理人弁護士繩稚登は、その後間もなく、右答弁書中控訴人主張内容記載部分が誤りであることが判明したので控訴人に対し詫状を郵送するとともに、右部分を「昭和三八年ころ、取調を受け云々」と訂正した準備書面を提出しこれに基き次回口頭弁論期日に陳述しているのである。

(抗弁)

一、控訴人は昭和三八年ころ麻布警察署において宅地建物取引業法違反容疑で取調を受け、かつ右被疑事件について被控訴人の会社にまで刑事が強制処分により捜査に来ており被控訴人自身も取調を受けたのであるから当時被控訴人において、控訴人が右容疑で逮捕されたものと信ずるについては相当の理由があったというべきであり、弁護士繩稚登に対し、控訴人が逮捕された旨を告げ、同弁護士が前記訴外小林トシと被控訴人間の訴訟事件の答弁書にこの逮捕の事実を記載したのも右事件の書証の成立に関連する事情として被控訴人の防禦に必要であるが故になされたのであるから、名誉毀損としての不法行為は成立せず、被控訴人にその責任はない。

二、仮に、被控訴人が、昭和三八年ころ訴外田村弥一ほか友人達に控訴人が麻布警察署に逮捕された旨を告げたことが認められ、これが不法行為となるものとしても、控訴人は、警察において取調を受けた二、三週間後には右事実を知ったはずであるから、右不法行為による損害賠償請求権は三年の時効により消滅しており被控訴人は、右時効を援用する。

(被控訴人主張に対する反論)

一、答弁書に基く弁論がなされなかったとしても、このことは名誉毀損の成否には関係がなく、控訴人が逮捕された旨の答弁書の記載を取調べを受けたと訂正しても、控訴人が取調を受けた事実の有無は、前記訴訟事件の請求原因とは関係なく、被控訴人の右事件における被告としての防禦方法として有効なものでなく、これを陳述することは控訴人の名誉を徒らに毀損するのみで違法性を失うものではない。仮りにしからずとしても、右答弁書の記載は前記田村弥一らに対し言いふらした行為と一体となって控訴人の名誉を害するものである。

二、抗弁事実は否認する。

控訴人の各行為は前記のとおり一体として不法行為をなすものであるから時効は完成していないのみならず、被控訴人が、訴外田村弥一らに前述のように言いふらしたことを控訴人が確定的に知ったのは右答弁書提出の時であるから消滅時効は完成していない。

(証拠)≪省略≫

理由

一、≪証拠省略≫によると、被控訴人は昭和三八年当時訴外山叶証券株式会社に勤務し、一方控訴人は不動産売買仲介業者として同会社に出入りしていたことから、相互に知り合いの関係にあったこと、控訴人が同年春頃宅地建物取引業法違反容疑で麻布警察署において任意取調を受けたことがあったところ、右取調べのあった直後頃、被控訴人は控訴人、被控訴人の共通の知人である訴外田村弥一、および大蔵省に勤務する訴外望月某に対し、それぞれ「控訴人が麻布警察署に逮捕された」事実のあった旨を告げたことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

しかしながら、被控訴人が右二名以外の者にも右事実を告げたことを確認できる証拠はない。≪証拠判断省略≫

二、次に昭和四一年一一月控訴人の実妹訴外小林トシが被控訴人を相手方として提起した所有権移転登記ならびに、建物明渡請求訴訟(東京地方裁判所、昭和四一年(ワ)第一〇五七二号事件)において、そのころ被控訴人が右事件につき訴訟委任をした弁護士繩稚登に対し、控訴人が昭和三八年ころ麻布警察署に逮捕された旨を告げ、同弁護士が右事件につき「昭和三八年初め頃、有坂(本件の控訴人)が麻布警察署に逮捕された事件が起り、云々」と記載した答弁書を昭和四一年一二月五日の第一回口頭弁論期日に提出したことは当事者間に争いがない。

三、しかして、被控訴人が右のように第三者に控訴人が逮捕された旨を告知したことは勿論、訴訟代理人に告知し同人をして右の旨を訴訟事件につき答弁書に記載し提出せしめるに至らしめた行為は控訴人に対する社会的評価を低下せしめるものというべきである。なるほど、右答弁書は口頭弁論期日においてこれに基く陳述はなされないままその後間もなく右答弁書の記載中前記引用部分の記載が誤りであり、控訴人は、麻布警察署で取調べを受けたものであることが判明したとして同訴訟代理人弁護士繩稚登は控訴人に対し詫状を郵送するとともに、準備書面をもって、右引用部分を、「昭和三八年頃取調べを受け云々」と訂正し、右事件の次回口頭弁論期日には右準備書面に基き陳述をなしたことは控訴人において、明らかには争わないのであるが、法廷において陳述しなかったからといって、何人も閲覧し得べき可能性のある答弁書に記載して提出した以上、控訴人に対する社会的評価を低下せしめる結果を招かなかったとはいえない。

四、しかしながら人の名誉を害すべき事実を第三者に表白する行為が違法性を帯び不法行為として成立するには、右事実が社会の一定範囲に流布されるか、社会の一定範囲に流布される蓋然性の高い状態で表白されること、もしくは悪意をもって表白されることを要すると解するのが相当である。

ところで、前認定の昭和三八年に被控訴人が、訴外田村弥一ほか一名に対し控訴人が麻布警察署に逮捕された旨を告知した行為と、昭和四一年に被控訴人がその訴訟代理人である弁護士繩稚登に右事実を告げ右弁護士をして右事件につき右事実を記載した答弁書を提出せしめるに至らしめた行為とは、方法を異にし、しかも三年のへだたりがあるので法律的には個別に評価を受ける行為と解すべきであるから、前示見地に立脚してまず前者の行為について見るに、知人である右訴外人ら二名のみに対する名誉を毀損すべき事実の表白をもっては、社会の一定範囲に流布されもしくは流布される蓋然性の高い状態で表白されたものとはいうことができず、被控訴人が悪意をもって表白したものとみるべき証拠はないから被控訴人の右行為は未だ不法行為を成立せしめるべき違法性を帯びるには至らないものというべきである。よって右行為が不法行為に該当するとの控訴人の主張は、その余の判断をするまでもなく理由がない。

五、次に後者の行為について見るに、名誉を害すべき事実を訴訟事件の答弁書に記載してこれを提出することは、社会の一定範囲に流布される蓋然性の高いものであるというべきであるから、この点において違法性を否定することはできない。尤も訴訟事件の依頼者として被控訴人がその訴訟代理人である弁護士に対し、当該事件に関し自己に有利となる事実、相手方に不利となる事実をすべて表白することは、たとえ右事実が一部真実に反するか、他人の名誉を毀損するものであっても、委任を受けた弁護士は訴訟代理人として受任者から聴取した事実を自己の法律的知識に基き当該事件との関連で取捨選択したうえ、訴訟行為をなすものであるから、それだけでは違法性を帯びるものではない。ところで、≪証拠省略≫によれば、被控訴人は前記訴訟事件において相手方の提出した被控訴人作成名義の書証が被控訴人の真意に基かずして作成せられた事情として訴訟代理人に対し控訴人が逮捕せられた事実を告知したものと認められるのであって、このことからすれば右事実が答弁書に記載され裁判所に提出されることあることを予期していたものというべきであるから、右訴訟代理人が答弁書を作成提出した行為をも含めて被控訴人の行為として、評価されるべきである。しかしながら、当事者主義、弁論主義をとる民事訴訟においては、当事者が、自由に自己に有利な法律上事実上の主張をし、係争事実についての立証を充分尽くすことが、確保されなければならないのであって、訴訟の当事者の主張事実がたまたま他人の名誉を毀損するような内容のものであり、かつ結果的にそれが真実に合致しないものであったとしても、当該当事者において、その事実が真実なものと信じ、かつ右のごとく信ずるにつき、一応の合理的根拠ある限り訴訟の追行上自己に有利であるとしてこれを主張することは、名誉毀損の違法性は、阻却されるものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、≪証拠省略≫によれば前記訴訟事件につき相手方から提出された書証の証明力を争うための前提事実として控訴人が逮捕取調べを受けたことを主張する必要があるものとして、その旨答弁書に記載されたものであることが明らかであるところ、控訴人が麻布警察署に逮捕された旨の事実が真実に合致しないことは当事者間において、争いはないのであるが、≪証拠省略≫によれば、昭和三八年被控訴人の勤務していた山叶証券株式会社に麻布警察署の刑事二名が控訴人のことについて調べに来て、被控訴人および総務部長の訴外小沢某は参考人として取調べを受け供述調書に署名捺印したこと、さらに被控訴人自身も麻布警察署の加賀美警部補から呼び出しを受け控訴人の件について説明を求められたこと、被控訴人に対し同警部補は控訴人の件につき捜査中だといっていたこと、また右捜査担当官らは、控訴人に対し令状を執行するかもしれないと被控訴人に告げたこと、被控訴人の勤務する山叶証券では重役たちが控訴人の件を心配し、また右会社内では控訴人がつかまったとの噂が広まっていたこと、被控訴人も右噂から控訴人が逮捕されたものと信じていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

してみれば、被控訴人において控訴人が麻布警察署に逮捕されたと考えたのも根拠のないことではなく、被控訴人が、控訴人の名誉を毀損する意図のもとに右不実の事実を訴訟代理人に告知した事情も窺えない。

しからば後者の行為は結局不法行為としての違法性を阻却するものというべきである。

六、以上のとおり前認定の被控訴人の各行為を不法行為として被控訴人に損害賠償責任を負わしめることはできないのであるが、なお、訴外小林トシと被控訴人間の前記訴訟においては被控訴人の「控訴人が麻布警察署において逮捕され云々」と記載された答弁書に基いた陳述はなされず、右部分を「控訴人が麻布警察署で取調を受け云々」と訂正した準備書面に基き陳述がなされたものであることは前認定のとおりであって、かような場合は金銭をもって賠償すべき程度の名誉毀損の実害はなくなったものというべきである。

七、しからば控訴人の本訴請求は理由がないから失当として棄却すべく、一部理由を異にするが結論においてこれと同旨の原判決は結局正当であるから本件控訴も理由なきものとして棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 綿引末男 裁判官 柿沼久 江見弘武)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例